痛いということの不思議 痛いということの可笑しさ

左からトラアセット、サインバルタ、リリカ。リリカを服用すると妄想的な夢を見るという人もいる。ぼくは今のところ、副作用はあまり感じてない。

多くの脊髄損傷者が持っている疼痛

 2014年8月、今から6年ちょっと前、アフリカの最深部キブ湖南端のルワンダ側、というような場所で助手席に座っていた車がコケて谷に転がってしまったことで負った胸椎6番での脊髄損傷。ぼくはちょうど50才だった。

 その後遺症として、外から見てまずわかるのは下半身完全麻痺があります。一緒に数時間過ごせば、排便排尿障害にもすぐ気がつくでしょう。でも……、背中に残る《痛み》は、どうやっても他人にはよくわからない。ぼくも伝えるのに苦労します。

 資料によってさまざまな数字が出てくるけれど、どうやら脊椎損傷を負ってもそれほど痛みがない人たちが3割ぐらいはおられるという。えー、そうなの!それはよかったよねぇ、痛くないなんて。素直に羨ましい。

 でも、ぼくは、そのラッキーな3割には入れなかった。しっかりと、疼痛、慢性痛、(しび)、あるんです。

 受傷後、いつからこの痛みが始まっていたのか。受賞して5日後に手術を受けたけれど、それ以前は寝返りも打てなかった。受傷した場所が動くと、激痛があったように思う。運ばれたケニアの首都ナイロビの病院で、背中を切開して、ずれた背骨を整形して、支えとして金属が入った。術後、もちろんその周辺は痛かったように思う。手術から2週間後ぐらいに、飛行機の長旅で日本に搬送された。そのとき、同行してくれた看護師さんに背中を何度もマッサージしてもらった記憶があるから、あのときには今の痛みと同じような感覚がすでに定着していたのだと思う。ただ、その痛みの奥には、どこか「かゆみ」に似たシグナルがあった。怪我したところが、治る際にかゆくなっていくような、その最初の兆しのようなもの。だからぼくには、傷がよくなれば、この痛みも減っていくんじゃないかというような期待があった。

 でも、ぼくの期待は叶わなかった。

 社会復帰にむけてのリハビリテーションのために転院した埼玉県所沢市にある国立リハビリテーション病院で、痛み止めの使用に躊躇していたぼくに、医師も看護師も、QOL(生活の質、クォリティーオブライフ)を維持するためには、痛み止め薬を使うことも選択肢だと背中を押してくれた。薬を使い始めたのは、受傷後半年ほど経ってから。それでも、痛みが消え去ることは、なかった。それ以来、今に至るまで薬の服用は続けている。今使っているのは、リリカ、トアラセット、サインバルタ。おそらく脊髄損傷者だけでなく、痛み持ちの人にはわりと馴染みのあるラインナップなんだろうと思う。

痛みはぼくの一部、なのに他人面

 さて、その痛み。
 痛みというのは、とことん主観的なものだ。ズキズキ、キリキリ、焼けつくような、重い、刃物で切られたような、しくしく、締めつけるような、(うず)く…、どんな形容詞も、自分の感じていることを伝えるにはどこか(うつ)ろで頼りないような感じがする。そもそも、ぼくの「ズキズキ」とあなたの「ズキズキ」はいったいどれくらい似ているのか。服のサイズのように合わせてみるわけにもいかず、体温のように測るわけにもいかない。ぼくだけのもの、他の誰にも渡せないもの、そう書くと、自分の感じている痛みがちょっと愛おしくならないか?(ならない!)

 この痛みとどうつきあうか? つきあう? 好きでもないのに? こんなふうに、痛みは自分自身だけのものであるにもかかわらず、どこか他人でもある。ぼくは「痛みとうまくつきあうしかない」「痛みと仲良くする」みたいな表現をよく使うけれど、なるほど、痛みってちょっと他人顔の存在なんだ。その他「今は痛みが静かにしている」「痛みを起こさないように」「痛みにはおとなしくしてもらって」…、痛みを「赤ん坊」に変えても通じる文章だ。なるほど、痛みも赤ん坊も、こちらの思う通りにならない。静かにして欲しいときに騒ぎ出すし、寝ていてほしいのに起きて泣き出す。違うのは、赤ん坊がぼくとは完全に別人格なのに対して、痛みは、ぼくの中、ぼくの大脳の中で起こっているってことだ。でも、痛みも赤ん坊と同じように、まったくコントロールが効かない。自分の一部なのに、とっても他人。

痛みとの対話

 痛みともっとも向き合うことになるのは、就寝時だ。布団にくるまり眠りが落ちてくるのを待っていると、ほとんど毎晩、眠りの前にやってくるのは、その存在を主張する痛みからのアピールだ。

 ぼくの痛みは大きくわけて3種類。ひとつは左右それぞれの肩甲骨を頂点とした筋肉痛。左より、右側の痛みがより強く広い。イメージとしては、左は、肩甲骨の内側に温州みかんほどの痛みの塊があり、右のそれは文旦といった風情か。しかも右側は、文旦から下方にも痛みがじんわりと広がっている。
 この左右の違いは、失われた感覚域が左のほうが大きいからとも表現できる。感覚が残っている右側のほうが、痛みがより広く暴れることができるらしい。

 ふたつ目の痛みは、ぼくの胴体をぐるりとドーナッツのように包み込む「有感覚(胴体上部)と無感覚(胴体下部)の境界線」のしびれ感。ぼくの場合、ちょうど横隔膜の高さだ。このドーナッツも、すこし左側が上に、右側が下にずれている感じ、つまりドーナッツは大地に対して水平ではなく、右側が下がりぎみの斜め状にぼくの胴体を包み込んでいる。痺れは、特に右側で痛み化が鋭い。

 みっつ目の痛みは、股間から内股、あるいは肛門から内股に伸びる腱のピリピリした感覚。これは背中の筋肉痛と連動している。たとえば、腕を背中にまわして、左の温州みかんや、右の文旦をこりこりと押し転がすと、この下半身の腱がより活発にビリビリと応答する。

 布団にくるまれた暗闇の中で、このみっつの痛みとの対話する。寝た子を起こしてはいけないなぁと思いつつ、瞬間的な快感をもとめて、肩越しに、あるいは脇腹越しに、ぼくは左右の腕を伸ばして、みかんや文旦に刺激を与えてしまう。凝った肩を揉むと気持ちいいじゃない。あんな感じ。
 みかんはやがてほてって八朔(はっさく)ほどに、文旦も椰子(やし)の実ほどにふくらんでいく。あるいは肋骨(ろっこつ)(特に右脇)間の筋肉を押し()で上げるのも痛みにはいい刺激だ。うーん、こっちを押すと、肛門あたりがピクピク、あっちを押すと右足の付け根の内ももがピクピク。

 こんな対話が始まると、1-2時間はすぐに経ってしまう。対話に疲れて、ぼくのほうがもうやめようとしても、陽気になった痛みのほうは勝手に話し続ける。気がつくと、雀がチュンチュンと歌い出し、カラスがカァーと朝を告げる。そんなことも珍しくはない。 

 痛みをうまくなだめすかすことができると、八朔は温州みかんに、椰子の実は文旦にもどり、さらに温州みかんは金柑に、文旦もみかん程度に凝縮し、両肩甲骨の裏側でそれでもジリジリと燃えつつ、黙り込む。そうして、ぼくもようやく浅い眠りに落ちる。

 痛みをあまり擬人化するのも好きではない。それは単にスライムのようにじっとりとぼくの背中に根を張り触覚を伸ばす。エイリアンのようでもある。

いつか、タガが外れる、か

 つい数日前、ある脊髄身障者がフェースブックで切々と同居する痛みについて書かれた方がいた。

脊髄損傷疼痛の末期です。
凄まじいレベルになりつつあります。
頭の中は、火の海、さながら、煉獄の中を彷徨ってます。
ぶっ飛んで、タガが外れてしまった感があります。あまりに痛すぎて、もう、どうでもよくなっていまうことが、たびたび、起こります。
世の中、死にたくない人ばかりだけど、この痛みを経験したら、その気持ちは、無くなると思います。………

 この文章通りなのだろう。「火の海」「煉獄」「彷徨う」「タガが外れて」、想像してみる。痛いのは嫌だ。我慢できなる閾値を超えてしまった痛みは、死よりもたちが悪い。そんな気持ち、想像はできる。痛いのだけは、もうコントロールのしようがない。コントロールできなものが自分を蝕むとき、生きているよりも、生きていないほうがいい、と思う。死んでこの痛みから逃れたいと、思う人がいて不思議とは思わない。

 ぼくの痛みは、この域にはまだ届いていない。タガは外れていない。タガが外れた痛みを持った人に、かける言葉も見つからない。ぼくは、彼に、あなたの文章を読みました、とだけリアクションした。

 世にはペインクリニックと称す場所もある。体験者の書いたものをいくつか探して読んだ。うまくいった人もいれば、治療を受けても痛みは改善せず、むしろ悪化したような体験談もある。
 鍼灸や指圧を薦めてくれる人もいる。確かに、そのときは気持ちいいみたいだ。でもあくまで対処療法で、結局また気持ちよさを求めて通うことになる。どうやら、そんなことになることが多いようだ。

 ぼくが通う整形外科医は、可能なら薬は減らせという。とくにトラムセットは「麻薬(まやく)だから、ね」と。減らすことは可能だ。でも、減らすと、きっと痛くなったような気が少し増すのだろうと思う。なんとも阿呆らしい。結局、痛みそのものではなく、痛みをめぐる諸要因に、ぼくの気持ちが振り回されて、痛みが増えたり減ったりする。

 痛みが消えることはない。痛みはいつでも、そこにいる。隠れようともしないで、立っている。でも、ぼくがそっちを見ないことはある。楽しいこと、面白いこと、何かに集中しているとき、読書でも、こうやって文章を打つときでも、美味しいものを食べるでも、映画を見るでも。
 そんなときでも、痛みがそこに立っているのはわかっているし、感じている。ちらっとでもそっちを見れば、そこにいる。ただ、見ないだけ。見ないでいられるだけ。そんなときは、気にならないだけ。

 気圧とか、関係するんじゃないか、と母がいう。低気圧が近づいてくると痛い、そんなこともあるらしい。言われてみると、そんなことがあるような気がするし、関係ないような気もする。ようは、気の所為(せい)。気の所為で、強くなったり弱くなったり、大きくなったり小さくなったり。

 マッサージ器具もけっこう試している。でも定着率は低い。筋膜剥がしの振動マッサージ機は、たしかに気持ちいい。でも、絶対必要なわけでも、ない。孫の手のようなツボ押し棒みたいな素朴なものが、地味にいい仕事をすることもある。結局は、自分の指で届く範囲で勝負している。

 これからぼくたちはどうなっていくのだろう。年齢とともに、痛みは増す、という説もある。いつかタガが外れたりするのだろうか。わかんない。とにかく、今は温州みかんと文旦、その熟れ具合をあまり集中しすぎないように見守るしかない。そんな感じ。

 長々と、自分のことを書きました。自分の中の、よくわからない存在。こいつがぼくの一部なのは間違いないんだけれど、ぼくの外側に存在しているようにも思える。そんな存在について、書きました。
 切りがないので、今日はこのへんで。では、また明日。

2件のコメント

興味深く読ませて頂きました。受傷してこの痛み痺れと一生付き合うと言われた時は、絶望しかなかったですね。なるほど、確かに赤ん坊だとすると、可愛く、、、ならないですね〜、笑
私の意見ですが、薬はそれを飲んでいるから効いている、って感覚を持てるのから効いているんだと思います。
私はL3の完全麻痺で8年目になります。リリカ•トラムセット•ロキソニンを飲んでましたが、3年前にリリカ•トラムセットを辞めました。辞めた翌日から痛みがお祭りで寝れませんでしたが、寝れない日が続くと睡魔が勝って寝れるもんで、そんなの繰り返したら痛みは1週間ぐらいで引きましたが、暫くは日中夜間で落ち着かない変な感覚をもよおしてました。麻薬ってのはそのあたりだと思います。それも落ち着くと、トラムセット飲んでいた時よりも痛みの頻度は落ち着いたような気もします。あとトラムセットは肝臓に負担がかかる分、前はお酒飲んでも酔う前に気持ち悪くなっていたんですが、今はうまく酔えるようになり、酔っている時は脚の痺れもラクになります。
今は寝る前と痛い時にロキソニンだけ飲んでます。痛い時にコレ飲めば落ち着くと思い込んでいるので、何度か辞めようとしましたが辞めれません。最後の砦的なものなんでしょう。

匿名様
「薬はそれを飲んでいるから効いている、って感覚を持てるのから効いている」うんうん、わかります。
そうかぁ、リリカとトラムセット、断捨離されたんですね。
私も飲まなきゃ飲まないでなんとかなるだろう、という感じはするんだけれど、少しでも楽ちんならとズルズルと続けちゃっています。リリカは、あわない人は悪夢がうずまいて大変だという話も聞いたことがありますね。
そう、痛いときに飲む、ってのもありと思いつつ、リリカなんかは継続するから効くらしいし。
とにかく、お痛みさんとのつきあいは、これからも続くよ、でありますね。
私は、魔法のランプの精とお会いする機会があったら、「元の体にもどしてくれ」じゃなくて、「痛みをすっきり取ってくれ」とお願いすると決めております。痛みのない、脊損生活を送ってみたいなぁ。

村山哲也

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